富山県に生まれる。東京大学卒業。総理府(当時)に入省。1995年から埼玉県副知事、1998年オーストラリア・ブリスベン総領事などを経て 2001年内閣府男女共同参画局長、2004年から昭和女子大学大学院教授、女性文化研究所長。2007年から同大学学長(2016年3月迄) 2014年から理事長(学長兼務)。2016年から昭和女子大学 総長(理事長兼務) 現在に至る。 |
健康な体には健康な精神が宿るといわれています。あらゆる社会活動を行う際の基本は健康です。そのため私は、「女性よ、体を鍛えておけ」と常に申しております。今の女性には、やらなければならないことがたくさんあります。仕事をして社会とつながり子どもを産んで育てて、家庭を運営する基礎になるのは健康です。
国連は、2015年の総会で「持続可能な開発目標(SDGs:サステナブル・ディベロプメント・ゴールズ)」を採択しています。これは、17の目標を定め、飢餓をなくし、すべての人たちが健康な生活を送れるように、また地球を長持ちさせるために人間がしなければならない目標を掲げています。
日本人の場合ですと、1960年代以降の経済成長の結果、私たちの食生活はガラッと変わりました。「SDGs」で示されているように、飢える人たちは地球上には何億もいますが、日本では多くの人たちは食べ過ぎ、カロリーの摂取過多、アンバランスな栄養摂取で健康を害しているのが現状です。バランスのとれた健康を維持していくために、私たちはおいしいものを腹いっぱい食べたいと本能に任せることなく、賢く食欲をコントロールしなければなりません。その知識や知恵を、どう身につけるか。家庭の役割は、とても大きいと思います。
私たちは、経済成長以前の人たちの方が健康な暮らしをしていたのではないかと考えがちですが、データでみますと日本人はどんどん長生きになってきています。医療水準が高まって病気が治るようになったことも大きな要因ですが、体力がついて健康になって、それが長寿社会をもたらしています。100年を生きると仮定すると、より健康に生活できるようにしなければなりません。それには、子どもの時から長持ちする体をつくる必要があります。
食べ物も富の格差が影響していると言われますが、親としてよい生活習慣、よいコミュニケーション能力、よい立ち居振る舞いを子どもたちに教えることが、次の世代への最大の贈り物ではないかと考えます。その中で、家庭が担う役割は大きいと感じます。ただ、現在、少子化の問題があります。今の日本の出生率は1.46人です。子どもたちが兄弟が少ない状況で親の愛を一身に受けて育つと、自分が世界の中心、自分の言うことをみんなが聞いてくれるのはあたりまえだと思うようになります。
「食育」は、好き嫌いなく残さず食べること、バランスのとれた栄養をきちんと採ることだと思われていますが、それだけではありません。どのように食べ物を得て調達し、どのように保存して調理をするか。食卓のみんなと一緒に楽しく食べて、後片付けまでできて初めて食育が完結します。
日本ではどうしても、食事で母親の愛情をはかる傾向があります。食事は確かにお母さんたちの愛情の表れではありますが、私は新しい文化を作っていくべきだと思います。「女性が社会の役割をもっと担う」社会をつくるためには、お父さんたちも子どもたちも一緒に家事も食事も分担するのが当然ではないかと思っています。
また食卓には、「ハレ」の食卓と「ケ」の食卓があると思います。手のこんだ食事でなくても素材のよいものを利用するなどして、日常の食卓はできるだけ時間やエネルギーを使わずに食べられるものを用意します。そして、「ハレ」の日や休日には母親一人だけでつくるのではなく、夫と子どもと一緒に食事を用意し、平日はどちらか先に帰ってきた方が作りおきを温めるとか、メリハリをつけて初めてワークライフバランスがとれた家庭になっていくのではないかと思います。
今の時代は、温度も時間もコントロールしてくれる賢いコンロもできていますので、新しい調理器具を活用し、時間を節約して誰かに負担が集中しないで食事の用意をする。そういった新しい文化をつくらなければならないと思います。その一方で毎日でなくていいので、「ハレ」の日に子どもたちが天然素材の味がわかる、自然の薄い味のものを味わい、よしとする感覚を子どもの頃から経験させることも大切です。
また、愛されて、世話されて当然と思っている人は感謝の言葉がなかなか出てきません。そうした意味では、夫とも、子どもとも協力し合って用意することで食卓でのコミュニケーションが多くなるのではないかと思います。
食をめぐる感情をことばで表現できることも食育の大事な能力のひとつです。日本人の「食リテラシー」は、せいぜい「3食好き嫌いなく食べましょう」ということにとどまっています。食に関わるすべての能力を育くむのが「食育」だということを、ぜひ食の教育にかかわる皆さまに、私からお願いをしたいなと思います。家族のみんなが、自分たちが食べるまでに費やされた労力を想像することができる。自分で苦労して選んで調理してといった、食に関するたくさんの引き出しがある。そうなって初めて、「ありがとう、おいしいね」という言葉が出てくるのではないかと思います。
女性が働くのがあたりまえになってきた社会の変化の中で、どういった文化、生き方を伝えていくか、倫理観を伝えていくか。社会の変化によって変わるものと、変わらない「不易」があります。子どもに伝えるべきは不易の部分。誰かに親切にされたら「ありがとう」、「恩返しをしよう」と考えます。おいしいものを用意してもらったら「ありがとう」という、それが「不易」の文化です。
今の社会では、「人に迷惑をかけない、自分らしく生きる、オンリーワンを目指す」ことがプラスの価値とされています。しかし、「人に迷惑をかけないから人のお世話にならない、お世話もしない」と言う風になりがちです。そうした孤独な食卓が増えると、日本の「食」はやせ細っていってしまうのではないでしょうか。
今の日本社会は、「自分はどんなところでも生きていける、人の役に立つことができる人」という気持ちを萎えさせていると感じます。料理をつくる知恵、食材を無駄にしないで生かしていく知恵と生きるスキルを社会に広げていくことが必要です。家族、そして、食卓は、そのための具体的なアクションを起こすことを教える一番身近な場ではないでしょうか。