10歳若がえり隊隣のスーパーアスリート
金原 美穂さん
MIHO KANAHARA
シニアダンス部『まかろん♪』のプロデューサーを務める金原さん。待ち合わせ場所に自転車で颯爽とあらわれたその姿には、快活という言葉がよく似合う。
名刺には多種多様な肩書きが。シニアダンスプロデューサー、防災士、全国ラジオ体操連盟公認1級指導士。
「好奇心旺盛なんです。だからいろんな活動に誘われます。でも全部に参加していたらキリがないので、最近は『自分のやりたいことができるかどうか』で参加を判断しています」
「やる、やらない」はハッキリ言える性格だという。しかし、子どものころは引っ込み思案だった。
「太っていたし、体育も苦手でした。走ってもダメ、泳いでもダメ。ボールは受け取れないし投げられないし。運動音痴で有名でした(笑)」
ダンスを始めたのは高校生のころ。自分と同じようにぽっちゃりとした女性が華麗にバレエを踊る隠し芸をテレビで見て、衝撃を受けたのがきっかけだった。ゼロからバレエをはじめるには遅すぎる年齢だったが、教室へ足を運ぶと先生は快く受け入れてくれたという。
スタートが遅かった分、誰よりも多く練習しようと1分1秒でも長く教室にのこり、練習に明け暮れた。
「ちょっと練習するだけでできる人を見ていると羨ましかったけれど、私はまったくできないところからのスタート。でも少しずつ、着実にできることが増えていくのが本当に楽しかった」
“できないと思っていたことができるようになる喜びを伝えたい。”これが『まかろん♪』を結成した理由のひとつだ。
『まかろん♪』の平均年齢は80歳。おもしろそうだけれど入部を迷うシニアに、金原さんは「ダンスのスキルはなくて大丈夫ですよ」と丁寧に伝えている。
「ダンスってできないと本当におもしろくないんですよね。だから私は、ちょっとがんばればできるレベルの振り付けしかしません。私がもともと運動音痴ですから(笑)みんなができるレベルのダンスで、おばあちゃんたちが楽しめたらいいなって」
部員たちは、健康づくりを目的にダンスをはじめる人が多いが、練習を重ねて踊れるようになるうちに、おばあちゃんたちは「もっとうまくなりたい」という気持ちを抱くようになっていった。
「イベントに出ればお客さんから拍手をもらえるし、いろんな衣装も着られるし、みんなだんだん楽しくなってくるみたい」
自分の健康のためにはじめたダンスが、いつの間にか“観客のためのダンス”に変化していく。2023年に掲げたテーマは「魅せるダンス」。金原さんのプロデュースで出演の場もどんどん増え、今後は海外遠征も視野に入れている。ますます忙しくなりそうだ。
あえてシニアダンスのプロデューサーになった理由はこうだ。「シニア世代には、なにか始めたいと思ったときに『でも、私にはできないから』と諦める人が多い。その姿がバレエと出会う前の自分と重なったんです」
「できないから」とはじめなければ、本当はやればできたことも、できないまま終わってしまう。そんなふうに人生を終えるのはもったいないと感じた。
「今のシニアは、若いころにあまり自由がなかった世代でもあります。だから、『今は女性も自由に生きていい時代です!』といわれて、戸惑う気持ちもわかる」
続けて、現代の日本が平和で安全なのは、今のシニア世代が若いころに土台をつくってくれたからだと金原さんはいう。
「なんでもできるようになった今の日本で、豊かさや自由を味わってほしい。生きがい探しをお手伝いしながら、恩返しをしたいと思っています」
『まかろん♪』の結成から3年。最初は「人前になんて出られない」と恥ずかしがっていたおばあちゃんたちが、近頃はイキイキと次のイベントの衣装選びを楽しんでいるという。そんな姿を見るのも、金原さんの喜びにつながっている。
金原さんが代表を務めるコミュニティ『泉大津みんなの楽校』では、地域活性化を目指すイベントやボランティア活動を行っている。
「活動内容はラジオ体操会、川の清掃をする大津川ピカピカ隊、あと防災部。『まかろん♪』もみんなの楽校のクラブ活動のひとつです」
どの活動も、最初は「泉大津で暮らす人同士で仲良くなってほしい」「困ったときにすぐ相談し合えるつながりを増やしたい」という思いからはじめた。
「人のためになることをしたい」という気持ちが人一倍強い金原さんの前職は、市役所の職員だ。適職に思えるが、市職員ならではの苦悩もあったという。
「役所の職員は、窓口へ相談に来てくださる人の声にしか気づけません。でも、地域の中でひっそりと声も上げずに困っている人もいるでしょ。私はそういう人たちも含めて、もれなくみんなと関わりたかった」
仕事に勤しむ傍ら、家族で泉大津へ引っ越したのも転機のひとつだった。当時、小学生だった子どもの友達づくりを兼ねて地域コミュニティへ参加するうちに、親しい人は増えていった。
そしてさまざまなクラブやボランティア活動に誘われるようになり、地元愛は日に日に強まった。「あるときふと思ったんです。このままじゃ私、いざというときにみんなのそばにいられないんじゃないかって」
できるだけ多くの人のためになりたいという理想と、すべての人の声に耳を傾けることができないという現実の間で揺れる心。防災士でもある金原さんの胸の内で、「有事の際、泉大津にいる自分の大切な人たちのそばにいたい。」という思いが、日に日に強くなっていった。
葛藤はあったが、子どもたちが自立したのを見届けて30年勤めた市役所を退職した。今は働いていた時よりさらに忙しい日々を送っているが、仕事を辞めたことへの後悔は一切ない。
仕事を辞めたり、新しいことをはじめたり…それ以外にも、人生は常に選択の連続だ。
「なにか選ばないといけないときは、いつも自分と対話します。『私はどうしたい?』って。それでじっくり考えて、どうするか決めている感じです。やらないで後悔するよりやって後悔するほうがずっといいので」
「自分の人生を成り行きに任せるのではなく、人生の舵取りは自分ですべきだと思うんです。そして、身近なご縁を大切にしていきたい」
自分とよく向き合い、自分の本当の思いを知っているからこそ行動に迷いがない。迷いがないから、地域に根差し、金原さんのもとには人が集まる。地域の活力を高めていくかかわりにおいて、大切なことを感じる取材だった。
インタビュー/中野 佳代子
(10歳若がえり隊 編集長)
文/神村 綾乃
金原 美穂
<経歴>
1970年、大阪府生まれ。大阪教育大学卒業後、市役所に入庁。健康福祉や税務行政で30年間従事した後、52歳で早期退職。
ダンスは、高校生でバレエを始め、大学生でジャズダンスに転向。通っていたスタジオでリーダー試験に合格し「春田美優」として名取。現在は社会人ダンスチームteaに所属。
趣味は地域活動。シニアダンスプロデューサー、ラジオ体操インストラクターのほか、シニア向けスマホ講師や自治体向けDXコンサルタントなどIT分野でも活動。最近は、防災士や消防団など地域防災分野にも注力。